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【旅行前に読んで欲しい-韓国編-】板門店ツアー参加!緊張走る北緯38度線で注意ポイント!

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以前から気になっていた、韓国と北朝鮮の軍事境界線【板門店】。

個人では近づく事すらできない別名北緯38度線ですが、何とツアーとして団体で見に行くことが出来るのはご存知でしょうか?

近頃youtubeやブログで、ツアーに参加してきたという体験談を綴っている方も多く、そのツアーの知名度も徐々に上がってきています。

私自身、この板門店を認識したのは中学生時代。

当時、韓国や北朝鮮を始めとするアジア圏の歴史に興味がある国語科の先生が、「北朝鮮見てきたよ。」という出だしから始まり。

板門店の歴史を説明した上での、ツアー参加の話を聞かされた私含む生徒たちは、何故そんな危険な所に足を運ぶのかとゾッとしていました。

大人になってから、北朝鮮との関係性は緊張の糸を辿っていますが、何故こんなに対立しているのか逆に興味をそそられるようになったのがきっかけで、韓国側から北朝鮮へ近づける【板門店ツアー】へ参加するに至りました。

実際に参加してきた感想と、これからツアーへ参加される方、また興味がある方へ向けて記事を綴っていきたいと思います。

板門店(軍事境界線)とは?

板門店は和名呼びでは「はんもんてん」、韓国語読みで「パンムンジョム」と読みます。

板門店、またの名を38度線、軍事境界線などと呼ばれていますが、この境界線を機に韓国、北朝鮮と国が分かれています。ほぼ国境の様なものです。

有名なドイツのベルリンの壁と同じ役割を果たしており、壁ではありませんが、それが今もなお崩壊されることなくそびえている状態です。

何故このような場所が設置されたのでしょうか。

冷戦の象徴と言われる板門店の歴史

現代においては、朝鮮半島と称される韓国と北朝鮮は、ひとつの国として存在していました。

それが今の北朝鮮と韓国へ分割された歴史を辿ると・・・。

朝鮮半島が北朝鮮と韓国へ分断された理由

1897年から1910年までは大韓帝国として朝鮮半島は成り立っていましたが、日露戦争に勝利し日露間でポーツマス条約を結び朝鮮半島への保護権を得てからは、韓国併合により日本の統治下となります。(この時はまだ分断されておらず、一つの国です。)

第二次世界大戦の終わりとともに日本は朝鮮半島から撤退します。
日本の統治後に朝鮮半島の統治を名乗りを上げたのが、旧ソ連(ロシア)とアメリカでした。
この二国で現「北緯38度線」を境界に、北側を旧ソ連、南側をアメリカがそれぞれ統治することになりました。
ひとつの国だった朝鮮半島が現在の形に分断された瞬間です。

当時、アメリカは資本主義・ロシアは社会主義国家であったため、思想も違えば統治方針も違い、両国が併合されることなく時代は過ぎていきます。

そして1948年に韓国初代大統領である李承晩(イ・スンマン)が独立を宣言して、38度線の南側に韓国が誕生します。(アメリカが統治していた側)

同年に北朝鮮初代首相である金日成(キム・イルソン)も北朝鮮として独立を宣言します。38度線の北側に北朝鮮が誕生します。(旧ソ連が統治していた側)

こうして完全に朝鮮半島には思想の違う二国が誕生しました。

両国は衝突して戦争となりやがて冷戦へ

1950年に北朝鮮が北緯38度線(北朝鮮と韓国の境界)を越えて侵略を開始します。

これを機に朝鮮戦争(北朝鮮と韓国の戦争)が始まります。
中国・フランス・ロシア連邦・イギリス・アメリカが参加する安全保障理事会が北朝鮮と韓国へ停戦を呼びかけますが、止まることはなく激化していきます。

想定以上に被害の出た朝鮮戦争は休戦交渉へ移行していき、3年後に北朝鮮と韓国は朝鮮休戦協定を結びます。
この協定は、最終的に平和解決が結ばれるまでは、戦争行為・武力行使の停止を保証しますよというものです。

なので事実上、北朝鮮と韓国間には平和協定は結ばれておらず、あくまでも【休戦中】
今もなお、戦争は終わっていないのです。

この朝鮮休戦協定に反していないか監視するため、締結後同年に、今回の主役である【板門店】が北緯38度上に設置されます。
1950年から現在もなお設置されているので、その歴史は何と60年以上。

現在では、板門店内でこの休戦協定について会談が開かれていて、一時期では北朝鮮への支援物資もこの板門店を抜けて届けられていたそうです。

板門店は、韓国と北朝鮮の唯一の接点を持てる場所・そして冷戦の象徴となっているといえます。

板門店の名前の由来は?

朝鮮戦争の停戦協定を交渉した場所というのが、今でいう板門店とは別のところで行われていました。

いざ、本格的に停戦協定会議をする場を設けようと移動させた際に、その近くにあった「ノル門里」と朝鮮半島で呼ばれていた店の「ノル」が、「板」という意味と知った中国人兵士が案内を出すために「板門店」と書きました。

そこから現在の板門店という呼び名が定着したそうです。

まさに韓国・北朝鮮の歴史だけでなく、世界の歴史の象徴とも入れる【板門店】。
歴史を知れば知るほど、一般人がツアーで立ち入れる間に一目見たいと思いは強くなりますよね。

板門店ツアー参加方法

JTBなどの旅行会社から、板門店ツアーへ予約をすることで参加できます→JTB 公式HP

予約したらあとは旅行会社から注意事項や説明を受け、ツアー当日まで待ちます。

そして旅行当日、韓国ソウル市内の指定された集合場所に板門店ツアー客を乗せるバスが到着します。
全席指定のバスへ乗り込み、点呼を受けたらいざ出発。

この時点ではまだ物々しい雰囲気はなく、普通の旅行と何ら変わりありません。
そしてバスを走らせること1時間で板門店付近に到着します。

バスから降りてまず最初に板門店についての歴史を教えて頂きながら、パンフレットと【訪問(見学者)宣言書】が参加者へ配られます。

訪問宣言書にはツアーとはいえ、いつ何が起こってもおかしくない軍事境界線へ赴くので、万が一命を落とす事があっても保証はしませんよ。という何とも重たいながらも、当然と言えば当然のその同意書にサインを行います。

↓ツアーのパンフレット


↓訪問(見学者)宣言書

冒頭でもお話ししましたが、この板門店には観光客として訪れることは出来ません。
その為【国連軍のゲスト】として招かれたという意味を含んだ宣言書でもあります。

この宣言書を書いてからというもの、不安は募るばかりですが、好奇心には勝りません。

板門店の緊張感漂う光景に圧倒

説明を受けたあと、ついに軍事境界線である板門前へ。

今もなお冷戦状態の象徴として設置されているその光景というのは一体どんなものなのかと、緊張と好奇心に心臓は高鳴ったままいざ現場へ。

そこには目を見張る光景が。


数人の軍人がこの境界上で見張っています。
非常に静かでピンと張り詰めた空気感に息をのみます。

因みに奥に見える白い建物が、北朝鮮側。
1948年当時、朝鮮半島の北側として分断されて以来交わることのない境界。

もしもこの瞬間に何かが起きたらと緊張を抱えたまま、韓国側の青い建物の中へ。


中には韓国・北朝鮮が会談で実際に使用するの机が設置されていました。
なお、この机上でも韓国と北朝鮮の国境が走っています。

私たちの日本で例えるなら、東日本と西日本の境界で対立しているような感じですよね。
東京の人が大坂に行く際、入国審査を受けなければならないなんてとても信じられない光景です。

私個人的な考えですが、日本は島国で飛行機やら船などを使用して「陸から飛び立つ」行動をして海外に行くという感覚が根強いので、地続きになっている所に国の境界があるのはなんとも不思議な感覚です。

板門店ツアー参加における注意点

宣言書でもありましたが、下手な行動をすると本当に危ない場所です。
それも自分自身だけでなく、韓国・北朝鮮サイドにも多大な迷惑をかけることになりますので、参加の際は絶対にルール厳守です。

以下はツアー中に言われたお約束事です。↓

■ 軍服に見間違えるようなカーキ色の服は着用禁止
■ 国籍によって入場禁止の場合アリ。今のところ日本国籍は大丈夫です。
■ 撮影許可のないところで撮影しない。
<板門店前での絶対ルール>
■ 2列で行動、列から離れてはいけない。
■ 指を差さしてはいけない。
■ 悪口を言わない
→悪口を言わないに関しては恐ろしいことに、「マイクで聞いている」そうです。

最後に撮影許可のあった部分を掲載させて頂きます。

板門店ツアーに参加して

正直参加前から帰国するまで緊張しっぱなしで、非常に疲れたという感想です(笑)

事前に歴史を調べてから参加したので、板門店が設置された背景に想いを巡らせながら見学出来たので非常に充実したものになりましたね。

今ではあまり目立たなくなりましたが、昔は両サイドへ亡命する人たちが絶えず、痛ましい事件になることも少なくありませんでした。

ですが、韓国側も北朝鮮側もこうして海外旅行客向けにこうしたツアーを許容しているところからして、様々な歴史を通して今もなおこの冷戦状態が続いている事実を見て欲しいというメッセージも勝手ながらそのような印象も受けました。

決して日本人である私たちも無関係とは程遠い板門店。

今回参加して個人的に本当によかったなと思っています。
旅行の際はぜひ気を付けてご参加いただければと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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