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渋沢栄一は女好き?結婚歴2回で子どもは50人?何度も紙幣の候補に選ばれていた?

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2004年ぶりに紙幣の肖像画が変更されると政府より発表があり、話題を呼んでいますね。

そんな中でも、1万円札の肖像画として選ばれたのは東京証券取引所を設立し「日本資本主義の父」と呼ばれた「渋沢栄一(しぶさわえいいち)」が無類の女好きだったという事をご存知でしょうか。

結婚歴は2回?理由は女性関係?

最初の妻は、富岡製糸場の経営として活躍した尾高 惇忠(おだか あつただ(じゅんちゅう)の妹であり、渋沢栄一の従兄妹でもある「千代(ちよ)」。

一人の妻として何故一生添い遂げなかったのでしょうか?

離婚などが珍しかった当時女好きで愛想をつかれたのかと思いきや、千代がコレラで病死してしまい死別したことが原因で、二度目の結婚に踏み切ったとされます。

二人目の妻は、兼子(かねこ)という女性で彼女と生涯を添い遂げます。
兼子は伊藤平八郎(いとうはちべい)の娘で、婿養子を取って家を嫁いでいたものの伊藤の為替事業が没落してしまい離婚していた過去を持つ。

渋沢栄一とはそんな波乱万丈な最中に両国で出会い、結ばれました。

渋沢栄一の女好きエピソード

子どもは約50人いた?

2回結婚した理由に関しては、女性がらみではなかったものの、子どもが約50人もいるという驚きの事実。

現代において5人でも多いなと感じるなかで、その10倍です。
自分の子孫だけでも、小さめの学校で二クラス分作れるレベルです。

その中で特に女性関係が派手だったことを思わせる理由として、庶子(妻以外の女性との子ども)が20人いたということ。これに怒らなかった妻たちは立派ですね。

公認の愛人が家に住んでいた

渋沢栄一が大蔵省に勤めていた頃、自宅に妻以外に何と愛人(当時の言葉で妾)を住まわせていたそうです。

愛人との子どもが20人というところから、恐らく愛人は一人ではないでしょう。
そもそも兼子と30人の子供を作ったのかも甚だ疑問が残りますが、いかがでしょうか・・・。

何度か紙幣の肖像画の候補として挙げられていた?

第一国立銀行、東京証券取引所、東京慈恵会、日本赤十字社、癩予防協会など数々の企業施設を立ち上げ、明治22年(1889年)から明治37年(1904年)まで深川区会議員を務めあらゆる功績を残した渋沢栄一。

これだけの功績を残していた彼は、実は何度か紙幣の肖像画の候補として挙げられていました。

その歴史をさかのぼる事、1000円札が伊藤博文だった1963年頃。
渋沢栄一郎か伊藤博文で候補が揺らいでいましたが、「髭に特徴がない」という理由で伊藤博文に決まってしまいました。

では、福沢諭吉は・・・?特徴的な髭が無いよ。
という疑問を持たれるかと思いますが、また別の記事でご紹介したいと思います。

という事で、約56年ぶりの念が叶ったという背景があったのです。

新紙幣は2024年頃が目途と政府より発表されましたので、楽しみですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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